創立60周年記念式典

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創立60周年記念

記念デザイン・ロゴ部門における最優秀作品をプリントしてグッズをつくり、全校生徒に配布しました。
この他、優秀賞・佳作に入選した作品は下に掲載されています。

寄稿文

創立時の忘れ得ぬ人々

勝股保臣(第1回卒業生・元教員)<br /> 平成22年7月10日 記 勝股保臣(第1回卒業生・元教員)
平成22年7月10日 記

旧制巣鴨高等商業学校,巣鴨経済専門学校から新制大学に改称された千葉商科大学(学校法人千葉学園)は市川市国府台の地で開学した。その大学の附属高校として昭和26年(1951)に森志久馬(法学博士)先生が初代校長として創立された。
① 森志久馬(創立者,大学学長,高校長)先生は戦後間もない頃の校舎(兵舎を改修)も貧弱で,教学,経営でも大変な苦労をされたことが想像に難くない。
森志久馬先生の思い出は,本部校舎から校庭を出席簿を抱えて,モルタル二階建ての商学部校舎へ,学部講義に行く元気な姿が眼に焼きついて離れない。三年次の体育祭の仮装行列で,先生の背広を拝借に行くと,気さくに承諾された。これは後にも先にも私一人ではないかと自負している。
昭和27年(1952)年の大学部の卒業式での式辞で服部文四郎(元文部大臣)先生の文言で脳裏にあるのは「諸君が全身全霊努力した事柄は,社会では絶対裏切ることがない。ということを信じて社会に堂々と巣立ってほしい。」
卒業生はこれを胸に頑張った人が多いと思う。

創立時の高校の先生方

  1. 有吉保(文学博士)先生
    創立当初から本校国語科の教師として勤める。三年次は私の担任であった。私たちが卒業すると同時に、昭和29年(1954)4月から、日本大学文学部(神田三崎町)で日本文学研究に勤しみ、中古、中世和歌史専攻,著書に「和歌文学辞典(桜楓社)」「新古今和歌集の研究」「百人一首 全訳注」など多数あり、日本大学名誉教授となる。先生は平成20年(2008)には瑞宝中綬章を叙勲受章された。
  2. 故柳井己酉朔(文学博士)先生
    故柳井己酉朔(文学博士)先生は母校國學院大學、中央大学、千葉商科大学の教授を歴任され高校でも授業をされた。中古文学専攻で、采女(うねめ)文学で博士号を得られた。先生は極めて近視で本に顔をつけるが如き様子で講義された姿は懐かしい。
    私が大学時代は先生の講座を他の必修科目と重なり、直接ご指導いただけなかった事が心残りである。
  3. 内田昭一郎先生(立教大学英文科卒,後に国立宇都宮大学教授)
    当時の容姿は遠藤周作と見紛う、美青年教師で流石、立教ボーイ然としていた。高校の授業はさることながら,千葉短期大学での夜間授業に参加しても良いということでジョン・スタインペックの「怒りの葡萄」の講義を受けたことは特に忘れ難いことである。
    その他に創立当時より永年、本学園に尽力された、上野国彦(第二代 前校長)、東条吉彦(前大学事務局長)、恩田八郎(前教頭)各先生がおられた。

創立時入学した第一回生の思い出される人々

戦後の復興期に創立(1951)して、早くも今年(2010)で59年が経過すると、仲間(同級生)が鬼籍に入られた人は少なくない。思い出すまま記すことにする。
創立時、何らかの事情で本校へ入学して来た人達には、希望と将来への飽くなき志を抱いていた人が多かった。胸の躍動する気概があったことを今でも忘れない

  1. 故小川三郎(都立両国高校を退学して一年遅れで入学)
    山武郡の山村(新治村)から通学、大の読書家、私はこの人の影響を受けた。卒業後百貨店奈良屋(千葉市内)に就職、数年後庶務課長になるが三越に吸収合併され、冷遇された。惜しい人材であった。
    故関根嗣郎(県立船橋高校,やはり一級上)
    優れた学力の持ち主で、知識も豊富であった。音楽部に属し活躍。校内体育祭の応援歌を作詩、作曲した。卒業後ブラザーミシン工業で将来を嘱望されたが早逝した。
  2. 故池尾幸彦(祖父は千葉銀行頭取、父は開業医)
    良家の生れで、在学時は慶應ボーイまがいの服装、学生帽を被り東京などで遊んでいたという。卒業後は市川信用金庫(現東京ベイ信金)に入行、四十代で早くも支店長、後に取締役にと期待されていたが早逝されて残念である。
  3. 故江波戸志郎(県立匝瑳高校より転入学、日本大学商学部卒業)
    水の栗田工業(株)で営業部長,停年後十年余り嘱託として勤務、引退して二年後、腰痛に悩むが、実は膵臓癌に侵されて、七十二歳の生涯であった。高校時代から正月は必ず成田山詣を友人五人で行っていた。私の親友五人衆の一人。ゴルフ、歌(演歌)詩吟には長けていた。(上手であった)
  4. 故佐伯敏幸
    千葉末広中で女優市原悦子と演劇部でご一緒したのが生涯自慢であった。
    兄弟姉妹が多く、鉄道官舎(蘇我、本千葉、津田沼、下総橘各駅)に人寄せして賑やかにするのが好きであった。
    卒業後、建設省地理調所、国土地理院、日本住宅公団に勤務した。停年後、八千代市米原団地事務所長をしていたが、大腸癌を患い六十二歳で、年金を手にすることなく逝った。惜しい友を失って残念、無念である。親友五人衆の一人。
  5. 金子裕
    墨田区押上の出身で学業優秀で卒業時には優等生であった。資生堂(株)の会計課長から,部長,取締役が約束されていた時、或る日突然,蜘蛛膜下出血により自宅で逝った。過労、ストレスから、企業戦士であったようだ。
    まだまだ多くの人が鬼籍に入ったことは、至極残念である。

昭和二十九年(1954)卒業から現在まで56年間現役で活躍している人

  1. 実川久之介(千葉大学教育学部附属中学卒業)
    学業優秀であったが,家庭の事情で日本橋にある敷島写真(株)に勤務したが,本人たっての希望であった精密機械工作業を起業して大田区六郷,矢口渡しで,実川精研(株)の社長として活躍している。時が時ならば伯父の実川時次郎(将来総理候補の代議士)氏の急逝により政治への道(代議士)を断たれたようで悔いの残るもののようであった。親友五人衆の一人,六十余年になんなんとする交諠に深く感謝している。
  2. 矢島弘康
    足立区北千住出身,入学時に席を近くにして,達筆な人で驚嘆した。卒業後,築地市場で鮪卸一筋で二代目として六十年になんなんとする鮮魚商,早暁(午前三時起床)の仕事師と言ったところである。運転免許証持たず,莨,酒は一滴もやらず元気一杯である。
  3. 横田作平
    江東区の出身,体躯は小柄であるが,勤勉,努力家で,日本大学医学部に進学,薬学を専攻し,薬剤師として市川市鬼越で薬局を経営,また県薬剤師会会長を歴任したと聞いている。本校卒業生としては異色の人物であり,漢方薬研究に余念のない努力家である。
  4. 井桁和夫
    卒業後千葉相互銀行(現京葉)に勤務後,千葉商科大学卒業,税理士の資格を得て,千葉県税理士会会長を歴任,千葉市中央区本町に井桁会計事務所を開設し社長として活躍している。本学園評議員,同窓会常任幹事として永年尽力をいただいている。良き友である。
  5. 山口仁
    市川学園中学卒業で,実家は市内真間町で傘屋を営む。大柄な人で勉強家,現役で国立千葉大学教育学部合格,卒業後市川市内小学校教員となり,稲越,市川小で教鞭をとっていたが,如何なる事情があったか,詳らかでないが退職する。その後兄弟で袋物業に転じて愛知県犬山市に在住していた。彼とは大学在学中,私と二人で,上野国彦教頭(当時)に面会して同窓会設立の請願に行った憶えがある。それから十数年後に同窓会を立ち上げることが出来た。懐かしい人である。

年金受給して悠々自適の生活をしている人

  1. 鶴見之正(千葉大学教育学部附属中学卒業)
    佐倉駅前の呉服屋の長男,至極商才のある人物。明治大学経営学部卒業後,千葉トヨペット(株)の営業部でトップの営業成績を収め,早々に支店長を歴任する。他の企業に移り三菱自動車(株)や保険,不動産業,機械工業の立ち上げるなどあらゆる分野で活躍した。エネルギッシュな人物である。生涯貴重なご教示をいただき感謝している私の掛け替えのない親友五人衆の一人である。
  2. 長谷川輝明
    市原市菊間中学の卒業,在学時より写真に凝り,自宅で暗室を作り,現像焼付,引き伸しをしていた。卒業後,紛れも無く,その道に邁進,プロカメラマンとして活躍。その後自宅(市原市)近くにスタジオ写真館開業して,寄る年波には勝てず,去年10月に閉店した。現在は全日本写真の国賀会理事をし,佐倉市川村美術館,JR八幡宿駅などで個展を開いている。また,成田空港内(NAAアートギャラリー)第1ターミナル5階で「遙かな上高地」と題して2010.6.24〜7.13の間,個展を開いた。
  3. 金子英雄
    佐倉市の出身千葉商科大学を卒業後,千葉興業銀行へ入行,各支店長歴任後,取締役,房州亀山湖カントリークラブ社長となる。同窓会副会長をされ永年つとめている。
  4. 松戸清
    千葉商科大学卒業後,千葉トヨペット(株)入社。営業部門セールスで優秀な成績を収め,本校にトヨエースを寄贈する。後に営業部長から千葉ビスタ(株)の社長を歴任する。
  5. 根岸広明
    千葉市立末広中学校卒業,極めて勤勉,頭脳明晰,卒業時は総代として優等生であった。卒業後,千葉県庁職員となり,財政畑を歩き,時の知事に絶大な信頼があった。 昭和40年代に同窓会創設にあたり,私が県庁に挨拶に参り,同窓会会長の職を受諾していただいた。その頃はまだ主幹であったが,それ以後,とんとん拍子に課長から農林部長,企画部長へと昇進した。高校卒で部長にまで昇り詰める人は稀である。 停年後は,千葉文化財団理事長,日本自転車振興会監事等歴任した。 本校の同窓会長を永年勤められ尽力していただいた。

思い出すまま記してみたが,まだまだ活躍された人も多く,税理士に三人,千葉大学医学部病院事務長,同微生物研究所,綜合警備会社社長,福井電機(株)取締役など多才な人がいる。 私は高校に入学して59年になるが,國學院大學卒業後,本校の教員として,43年間の永きに渡り,教学に,部活に携わって来た事を無上の幸せと思っている。 現在は学校を離れて7年になるが,好きな作家の本読みと旅を友として,幾許もない人生にどっぷりと漬かって生きていきたいと思っている。

記念デザイン

最優秀賞

2年E組 武荒梨佳・河室怜奈さん(合作)

優秀賞

佳作

記念ロゴ

最優秀賞

2年E組 河室怜奈さん

優秀賞

佳作